ベトナム・アメリカ・フランスの映画監督、作曲家、作家
トリン・T・ミンハは、さまざまな社会や文化を横断しながら、映像や音、文学的な作品、理論的な活動を通して、他者や自分自身との関係性を絶えず問いかける。戦禍を被ったベトナムで育ったトリンは、1970年に祖国を離れ、アメリカ合衆国とフランスで学び、多文化な環境の元、作曲、民族音楽学、フランス文学といった領域を専攻した。植民地政策と武力闘争、それによって移住を強いられた生々しい体験が、芸術と理論の継続的な実践を積み上げる糧となった。
学生最後の年にはいくつかの楽曲を完成させた。1977年から1980年の間には、マリ、セネガル、オートボルタ(現在のブルキナファソ)に赴き研究を進めながら、ダカールで音楽理論と楽曲分析を教えた。この頃に、土着的な建築や民俗学的な映画への関心が養われた。
無声短編映画(現存せず)を製作した後、初めての中編映画『ルアッサンブラージュ』(1982年)を完成させた。本作には、バサリ、フルベ、ジョラ、マンディンカ、サラコレ、セレールといったセネガルの民族の人々の記録映像が使用されている。この作品でトリンは、映像や音、テキストの相関的なアプローチを通じて、文化、歴史、社会に対する単一的な視点を打ち消し、被写体と鑑賞者の双方を共通の時空間に調和させることで、「複数性の関係(relationships of multiplicity)」を自らの実践における倫理的かつ美的な基盤として確立している。
以後40年間、あえて全知的な視点をもたずに、ベナン、中国、日本、マリ、モーリタニア、セネガル、トーゴ、アメリカ合衆国、オートボルタ、ベトナムといった国々で撮影された中・長編映画では、新たに撮影された映像とアーカイブ映像が入り混じるかたちで構成されている。『ルアッサンブラージュ』と同様に、『ありのままの場所』(1985年)、『姓はヴェト、名はナム』(1989年)、『核心を撃て』(1991年)、『愛のお話』(1995年)、『四次元(The Fourth Dimension)』(2001年)、『夜のうつろい(Night Passage)』(2004年)、『ヴェトナムを忘れて』(2015年)は、ドキュメンタリー映画に実験映画やフィクション映画の要素が組み合わされたエッセイフィルムだ。親密な距離から、時に弱々しく語りかける声を通して、トリンは映像における主体を脱中心化し、ポストコロニアル・フェミニストの思想や映像人類学の観点から批評的な問題提起をしている。
1990年から2000年代にかけて、トリンは多感覚に訴えるインスタレーションを展開するようになる。『砂漠は見ている(The Desert Is Watching)』(2003年)、『砂漠の身体(Bodies of The Desert)』(2005年)、『古い土地、新しい水 (Old Land New Waters)』(2007年)といった短編映像作品は当初インスタレーションとして発表され、その後、独立した作品としても展示された。
長編映画『ホワット・アバウト・チャイナ?(What About China?)』(2022年)では、映像のシークエンスに声、呪文、民謡、器楽演奏などの音を重ね、中国の客家の人々が共同生活を営む円形の土楼や、干欄(ガンラン)式と呼ばれる高床式住居とそれらを響き合わせることで、多層的な「調和」の概念を表現している。
トリンは、エッセイや論稿、インタビュー、脚本、詩のほか、声明文など数々の文章を発表している。また、ホイットニー・ビエンナーレ(1897、1993、2022年)やドクメンタ(2002年)など大規模なグループ展で作品が紹介されたほか、ウィーン分離派会館(2021年)、カイシャ・カルチュラル・リオデジャネイロ(2015年)、南洋理工大学シンガポール現代アートセンター(2020年)で回顧展が開催された。2012年には、女性芸術家協議会(Women’s Caucus for Art)の特別功労賞を受賞している。