オノデラユキは1962年に東京で生まれ、1993年からパリを拠点に制作を行うアーティストだ。キャリア初期における日本の写真賞受賞時に「謎めいていることは貴重である」と称賛されて以来、非現実的・多層的なイメージを持つその作品は国際的に高く評価されてきた。また、現代アートの分野で写真表現を用いて活躍するアーティストが現在ほど多くなかった当時の日本において、その存在は先駆的であった。今回は東京での個展に合わせて来日したオノデラに、これまでの歩みと制作プロセスのこだわり、作品に表れる身体性、そして自身のマイノリティ性などについて聞いた。(取材日:2024年12月4日)
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福島夏子:オノデラさんは独学で写真を学び、日本で1991年に第1回キヤノン写真新世紀賞を受賞後、1993年にパリへと拠点を移されました。なぜパリを選び、現在まで拠点にし続けているのでしょうか。
オノデラユキ:まず日本の外に出て活動しなくてはいけないという思いがありました。そしてコマーシャリズムの強いアメリカよりも、多様性を包摂するヨーロッパ、なかでも文化的・地理的な交差点であるパリがいいと考えました。現在は少し状況が違いますが、当時は私の友人含め、海外に渡って経験を積もうとする若い人たちが多かったですし、渡航したいと思うのは自然な流れでした。
福島:写真をめぐる状況も日本とヨーロッパでは違いましたか?
オノデラ:それは本当に違いました。93年頃の日本では、写真界と美術界というのはわかれていて、その双方を跨ぐような活動をする作家はあまりいなかった。フランスに移ると、まさにそういう作家がたくさんいました。
オノデラユキ《古着のポートレート No.14》1994年、ゼラチン・シルバー・プリント、115×115 cm
Courtesy of the artist
オノデラユキ《古着のポートレート No.1》1994年、ゼラチン・シルバー・プリント、ファイバー・ベース・ペーパー、115×115 cm
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福島:1994年「古着のポートレート」はオノデラさんの代表作のひとつです。本作はクリスチャン・ボルタンスキー(1944–2021年)の展覧会に出されていた古着を持ち帰って撮影されたのですよね。
オノデラ:コンストラクティッド・フォトグラフィの制作を経て、次はもっと人間に寄り添った作品を制作したいと考えていました。それで、古着をモチーフにしようと決めたときに、ちょうどボルタンスキーの個展があったんです。そこで展示されていた古着は袋に詰めて持ち帰っていいということだったので、これを撮影することにしました。
彼の作品では膨大な古着が積み重ねられ、悲劇の大きさが強調されていますが、私はその古着1枚1枚を広げ、個別に撮影することを選びました。大きな歴史に対して、個人の小さな歴史に迫りたいという気持ちがあったんです。
福島:住んでいたモンマルトルの家の窓辺で撮影されたそうですが、独特の浮遊感のある古着は不思議な存在感がありますね。
オノデラ:床に古着を置いて撮影するような、オブジェ・物体として撮影する方法は取りたくありませんでした。針金に古着を引っ掛けて空を背景にすると、それらが自立するように感じられました。そして二重露光ではなく、ちょうどいい雲や空の表情になるのを釣りのように待ちながら、ここぞというタイミングでシャッターを切りました。古着を針金にどう乗せるか、肩や裾の部分がどのような形になるかにはこだわりました。その当時は気づきませんでしたが、つまり私はその古着そのものというより、そこに見えていない身体性、蒸発してしまった体のほうを撮影したかったのだと思います。身体性へのこだわりは、この時から続いていたんだと、10年以上経ってから気づきました。
オノデラユキ《Muybridge’s Twist No.51》2016年、ゼラチン・シルバー・プリント、コラージュ、パステル、クレヨン、キャンバス、308×208 cm
Courtesy of the artist
福島:身体性への関心は、写真の前にファッションデザインを学ばれた経験と関係がありますか? 「Muybridge’s Twist」(2014年–)にはファッション写真的な構図も見られますが。
オノデラ:いえ、それはないんです。学ぶうちにファッションは私のやりたいこととは違うと思うようになりました。むしろ影響を受けたのは80〜90年代のウィリアム・フォーサイス(1949年–)やピナ・バウシュ(1940–2009年)らによるダンスと映画ですね。映画では主人公の立ち振る舞いなどを気にして見ていました。「Muybridge’s Twist」は写真をコラージュすることで、連続したコレオグラフィを1枚の静止画にしたいとの思いで作った作品です。動物や人の連続する動きをカメラで同時に写真に収めたエドワード ・ マイブリッジ(1830–1904年)の連続写真から発想したものです。その後、静岡県立美術館で「『動き』を求めて」というマイブリッジとロダン(オーギュスト・ロダン、1840–1917年)と私の作品を一緒に展示する贅沢な展示が実現しました。
福島:制作するご自身の身体性についてはどうお考えですか? 以前、写真はカメラという機械を通して理知的で複雑なプロセスを挟むので、絵画のようにご自分の身体性や感情をキャンバスにぶつけるといったことはないとおっしゃっていました。
オノデラ:そうですね。写真の制作プロセスはいくつもの障害があると同時に面白いと思います。おっしゃる通り直接的に私の身体性がそのまま反映されることはありませんが、それでも私の身体と作品が何かしらの回路でつながることを目指しています。また作品の持つマテリアル、物質性も大事です。近年はデジカメやスマホの普及もあり、「イメージを画面で見る」ということが一般的になりました。インクジェットプリントも主流になりましたが、私にとってはしっくりきません。今回の東京での個展「Parcours – 空気郵便と伝書鳩の間」では写真を切ったり、写真の上に「古着のポートレイト」で使った古着を貼ったりするなど、初めての試みを行っています。このように写真に様々な付け加えをするのも、物質性を求めているからかもしれません。私はイメージを作ることから離れて、物質としての作品を出現させたいんです。大きな作品を制作する際も、撮影の段階でその仕上がりサイズを想定しながら撮っています。
福島:パリという異国で暮らすマイノリティであることは、作品にどのような影響を与えていますか? オノデラさんの作品にしばしば登場する「移動」というテーマや、「宙吊りの感覚」「浮遊感」と関係はありますか。
オノデラ:そうですね。パリは様々な国からの移民が多く、それぞれの居場所を見つけています。マイノリティがあまりに多いので、逆に私自身はマイノリティであることをあまり感じないんです。いっぽうで、感覚的に大きな変化がもたらされたのは、中国で発表や活動の機会を持つようになったことです。それまでは日本とヨーロッパというものが軸にありました。2006年に上海の美術館で展示してから1年に1〜2回は行くようになり、韓国ともつながりを持つようになりました。すると、自分の故郷が「日本」から「アジア」というより広い地域として感覚が広がった。これは日本にいたら得られなかった視点かもしれません。
福島:それは素敵ですね。
オノデラ:アーティストという仕事にとっては、すべてが明らかではない世界のほう居心地がいい。それはつまり多様性のある世界ということ。そういう場所は、制作する環境として悪くないと思っています。
福島:女性であること、女性と見なされることは、作家としてキャリアを築くうえで何か障害となることはありましたか?
オノデラユキ《ACT-01 レニングラード》2015年、コラージュ、シルバープリント、チャコール、クレヨン、キャンバス、211×422 cm
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オノデラユキ《建築的身体と事件》2018年、コラージュ、ゼラチン・シルバー・プリント、木炭、パステル、クレヨン、キャンバス、300×734 cm
展示風景: 「Focus」マウイアート&文化センター(米国ハワイ)2024年
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オノデラ:リベラルな家庭で育ったこともあって、女性だからという理由で困難な思いをすることはあまりありませんでした。とはいえ特に日本では女性が抑圧されている社会的な状況があるし、政治的にも問題です。いまの状況を変えるために何かできることがあればしたいと考えています。
福島:オノデラさんの作品はフェミニズム的メッセージを打ち出すものではないですが、引用するイメージの選択やその扱い方、対象への迫り方にフェミニティを感じる部分もあります。「古着のポートレート」もそうですよね。また《ACT》(2015年〜)や《建築的身体と事件》(2018年〜)は、しばしば男性的・マッチョなイメージのある建築にうねりを加え、異化し、撹乱する効果があるように思いました。これらは建築を扱いながらも、「Muybridge’s Twist」からつながる身体性や動きへの探求が引き続き行われていますね。
オノデラ:いまでは女性の建築家も多いですが、確かに建築にはマッチョな要素もありますね。なぜ私が建築を扱おうと思ったかというと、写真が登場する前と後では建築の在り方が大きく変わったと考えたからです。建築写真ってちょっと強欲的な感じがしませんか? 写真家の「もっと格好良く、美しく撮ってやろう」という意思が前面に出るといいますか。写真以前のスケッチはそれを記録する個人の視点を活かしながらも正確に建築をとらえることができていたように思います。写真に撮られるという前提が建築自体にも影響を与えているはずで、その建築写真をモチーフとして使ってみたいと思いました。2023年にポンピドゥー・センターで開催されたノーマン・フォスター(1935年–)の個展では、写真が展示されていなかったんですね。それは、もしかしたらある固有の視点からとらえられた建築写真への違和感が理由なのではないか想像しました。写真というメディアが持つ力については、いつも自覚的にとらえ直しながら、制作しています。
福島夏子
「Tokyo Art Beat」編集長(Editor-in-Chief )。展覧会レビューやインタビューの執筆、アートに関わる記事の編集に携わる。Tokyo Art Beatは日本語・英語によるオンライン・アートメディアで展覧会情報や記事を発信している。https://www.tokyoartbeat.com/en
オノデラユキ
東京生まれ、パリ在住。写真はオノデラにとって中心的な手段である。カメラの中にビー玉を入れる等、タブーとされるようなことも自由に乗り越えていく。近年は自身による銀塩写真プリントで3mを越えるコラージュ作品を制作。作品はポンピドゥ・センターを始め、J. ポール・ゲッティ美術館、東京国立近代美術館、東京都写真美術館など世界各地でコレクションされている。