日本人映像作家、ビデオ・アーティスト
日本のフェミニズム・アートと映像表現の先駆者。日本の大企業に成長する出光興産創業者の末娘に生まれた。家父長として君臨する父の威圧から逃れるため、早稲田大学卒業後ニューヨークに留学。1965年画家サム・フランシス(1923-1994年)と結婚してカリフォルニアに住み、二男をもうける。しかし著名な画家の妻としての役割を果たすストレスや、アメリカ社会の中のアジア人女性としての孤立感から、「このまま何もしないでいたら気が狂ってしまうのではないか」と感じて8ミリカメラを購入、独学で映像表現を始める。1970年、当時盛んだった女性解放運動の意識覚醒グループに参加。メンバーの励ましを得て、より本格的な16ミリカメラを使い始める。
1972年にジュディ・シカゴ(1939年ー)、ミリアム・シャピロ(1923-2015年)と女子学生たちが作ったWomanhouseを撮影(《Woman’s House》)。期限付きで取り壊された女性による女性のための展示空間に対する、出光の視点による貴重な記録となった。1973年より日米を往復して制作したが、1981年の離婚後は日本に定住し、1982年再婚。1973年、初めてビデオを使って《おんなのさくひん》を制作して以後、フィルムとビデオの映像の特性を使い分け、両方で制作した。16ミリフィルムでは、光に感応する樹木や空、風の動きなどを詩情豊かに捉えるだけでなく(「At Santa Monica」、「At Yukigaya」、「At Any Place」などのシリーズ)、美しい映像と裏腹の出光の母(および同世代の女性)の孤独な晩年を出光自身の声(ナレーション)で表現(《ざわめきの下で》、1985年)。ビデオでは、主婦や母という役割を押し付けられた女性の単調な生活や閉塞感、子供に対する異様な執着などを、「マコ・スタイル」と呼ばれる、もうひとつのモニター映像を画面に入れ込む独自の手法を使って表現し(「グレート・マザー」シリーズ)、アメリカ、カナダを始め、フランス、ドイツの女性映像祭にも出品、受賞し、世界的に高い評価を得た。
同時に1976年の《Grandmother, Mother, Daughter》を皮切りに映像インスタレーションの制作も始め、母性の呪縛をテーマにした《Real? Motherhood》(2000年)や、物質的に豊かだった自身の幼年時代(1940年代)が日本の軍事化、アジア侵略と同時代であったことを、幼児期の写真と歴史的な記録映像の二重投影という手法で視覚化した《直前の過去》(2004年)を制作。同作品はこれまでの被害者としての女性像のテーマから、歴史や社会に目を開き、誰でも無知であることによって加害者たり得るという厳しい事実を提起した。
そのほか、自伝『ホワット・ア・うーまんめいど―ある映像作家の自伝』(2003年)を始め、近年は小説やエッセイも執筆し、出版している。
「19世紀から21世紀の日本の女性アーティスト」プログラム