スウェーデン人画家
ヒルマ・アフ・クリントが美術史と大衆に認知されるまでには、1986年にロサンゼルス・カウンティ美術館で開催された「芸術における霊的なもの:抽象絵画1890-1985」展の開催を待たなければならなかった。アフ・クリントの作品は、ピート・モンドリアン(1872–1944年)、ワシリー・カンディンスキー(1866–1944年)やカジミール・マレーヴィチ(1879–1935年)らの作品とともに展示されていた。だが、アフ・クリントによる初期の抽象画の年代を踏まえると、彼女が抽象画の先駆者と捉えられている画家たちの影響を受けているとは考え難いほど、実際には時代を先取りしていたことが見てとれる。孤独で型にはまらないアフ・クリントの画家としての道のりは、精神世界や秘教思想と強く結びついている。「神秘主義的」な彼女の作品を認識していたのは、そうした思想に精通したごく少数に限られており、彼女もまた、自らの作品が大衆には理解し得ないものであることを確信していた。また、彼女の家族にとって、関心の中心は植物学や数学だった。アフ・クリントは、ストックホルムからそう遠くないメーラレン湖の近くの邸で毎年夏を過ごし、そこで接した自然の美しさが、彼女の芸術の方向性に決定的な影響を及ぼした。1880年頃にテクニスカ・スコーラン(ストックホルム工芸美術学校)、1882年から1887年まで王立芸術アカデミーで学ぶ。その後、当時の模範的な美的価値観に沿うような風景画 《メーラレン湖の眺め(Utsikt över Mälaren)》 (1903年)を制作している。
20年間、アフ・クリントはヨーロッパの前衛運動に触れることなく、国内のアカデミックな潮流の中で制作を続けていた。そして、ロシアのヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー(1831–1891年)によって提唱され、当時大きな影響力を持った神智学の運動に感銘を受けたアフ・クリントは、霊媒現象に強い関心を寄せるようになり、1896年に4人の女性作家とともに「5人(De Fem)」という秘教的なグループを結成する。ある降霊術のセッションの途中、アマリエルという名前の霊的存在が、作品シリーズの制作に取り掛かるようにアフ・クリントに要求した。こうして生まれたのが「神殿のための絵画(Målningarna till Templet)」シリーズだ。このシリーズは、降霊中の絵画としていわば「自動的」に、時にはトランスの状態の中で描かれたもので、1906から1908年、1912年から1915年にかけて制作された。このシリーズは「WU/薔薇(WU/Rose)」や「10の最大物(De Tio Största)」といった連作を含む、個々のグループからなる190点以上の絵画で構成されている。これらの作品は二律背反の対立に基づく調和の探究を表している。例えば、男女のカップルは精神生活( Uという文字で示される)と物質的生活(Wという文字で示される)の区分の暗喩である。同様に、青色は女性に、黄色は男性に対応する。「神殿のための絵画」が完成した翌年の1916年、アフ・クリントは、「神秘主義(mystical)」シリーズを展示するためにストックホルム近くの島にアトリエを建て、限られた者のみの立ち入りを許可した。また、生活のためのアカデミックな作品制作と並行して、1910年から1914年の間、幹事であったスウェーデン女性芸術家協会でいくつかの展覧会を開催した。1914年には、カンディンスキーも抽象絵画を展示したマルメのバルト博覧会で、肖像画と風景画を展示している。さらに1916年から1920年にかけては、星幽世界の探究を続け、作品を純粋な抽象形式へと到達させた。この時期に「パルジファル・シリーズ(Percival )」(1916年)や「原子シリーズ(The Atom)」(1917年)などが生み出された。
1920年の母の死後、アフ・クリントはヘルシングボリに転居した。そして、1912年に人智学協会を創始した指導者ルドルフ・シュタイナーの思想に関心を持つようになる。以後20年間、具象的や抽象画まで、水彩画の小品が生み出された。死の直前、アフ・クリントは1000点以上にものぼる貴重な作品を20年間は公開しないという遺言による条件の元、甥のエリク・アフ・クリントに遺贈している。作家の死から40年を経て、彼女の抽象画の全体像とその比類ない近代性がようやく大衆に認知され、ヨーロッパの美術史における抽象画の誕生を再解釈することが可能となった。2008年にパリのポンピドゥー・センターで開催された展覧会「聖なるものの痕跡(Traces du sacré)」において彼女の作品が大々的に取り上げられ、続く2013年には、ストックホルム近代美術館で「ヒルマ・アフ・クリント:抽象のパイオニア(Hilma af Klint: Abstrakt pionjär)」展が開催された。