杉浦邦恵(1942–)は、1960年代からニューヨークを拠点に制作を続けるアーティストである。写真と絵画を融合させた「フォトペインティング」シリーズをはじめ、フォトグラムによる実験的な作品群など、写真表現を常に拡張してきた試みが、いま改めて高く評価されている。サンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)で開催された展覧会「Kunié Sugiura: Photopainting」(2025年4月26日〜9月14日)は、杉浦にとってアメリカで初めての大規模な個展となり、大きな注目を集めた。本インタビューでは、彼女がこの展覧会に込めた思いや、新たな「フォトペインティング」シリーズへの取り組みについて話を伺った。(取材日:2025年9月22日)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
小林紗由里:まず、先日閉幕した「Kunié Sugiura: Photopainting」展が開催されるまでの経緯について、お聞かせいただけますでしょうか。
杉浦邦恵:本展を手がけたSFMOMAのキュレーター、エリン・オトゥール(Erin O’Toole)から、2023年4月に開催のご依頼をいただきました。彼女は2006年頃からニューヨークの画廊で私の作品を見ており、いつか展覧会を開きたいと考えていたそうです。
小林:展覧会の構成は、どのように決められたのでしょうか。
「Kunié Sugiura: Photopainting」展示風景、サンフランシスコ近代美術館、2025年4月26日―9月14日、撮影:Don Ross
「Kunié Sugiura: Photopainting」展示風景、サンフランシスコ近代美術館、2025年4月26日―9月14日、撮影:Don Ross
杉浦:私は60年にわたる制作活動のなかで、およそ12のシリーズを手がけてきました。ただし、それは最初から「シリーズをつくろう」と意図して始めたわけではありません。ひとつの制作に向き合うなかで、そこから枝葉が伸びるように自然に新たな方向や表現が生まれ、それが結果として多様なバリエーションへと広がっていきました。そのなかでも、特に自分にとって重要だと考えているのが「フォトキャンバス」と「フォトペインティング」の2つのシリーズです。これらはニューヨークに来て間もない1968年から1981年頃にかけて制作したもので、これまでアメリカで本格的に紹介する機会がありませんでした。今回の展覧会では、この2つのシリーズを中心に構成してほしいという希望を伝えました。会場構成についても全面的に任せていただいたため、会場全体の約3分の2のスペースをこのシリーズの展示に充てることができました。2つの大きな展示室にこれらのシリーズをまとめて配置し、もう1つの大きな展示室には、フォトグラムのシリーズ、X線写真シリーズ、そしてレントゲン写真とキャンバスを組み合わせた近作を展示しました。さらに、通路部分には1960年代の「孤(Cko)」シリーズも加えました。このような構成の展覧会ですので、いわゆる回顧展のように時系列に沿って作品を並べたものではありません。つまり、今回はサーベイ(調査)という形式をとったのです。
小林:どのような着眼点で展覧会を構成されたのか、よく理解できました。実際に作品をご覧になった観客の反応はいかがでしたか?
杉浦:東京都写真美術館で個展を開催した際1は、作品を素直に受け入れてそのまま会場を後にする方が多い印象でしたが、アメリカでは議論が活発で、制作過程への質問も多く、鑑賞者との対話から多くを学ぶことができました。また、1960〜70年代に私が写真制作を始めた頃と比べると、現在では写真はアートの世界においても非常にメジャーな媒体となり、日常生活のなかにも写真があふれています。そのため、作品に対する理解度は当時とは比べものにならないほど高くなっており、その点はとても嬉しく感じています。
同時に、私の作品は「写真」で完結するものではなく、写真からさらに広がる表現であることが大きなポイントです。もちろん、ピュアフォトグラフィやストレートフォトグラフィは素晴らしいものだと思っています。しかし今では、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の「New Photography」展2を見ても、彫刻と写真を一体化させた作品や、写真が他のメディアと結びついた作品が数多く見られ、そのような表現はもはや珍しいものではありません。しかし、私が活動を始めた当時は、そうした表現はなかなか受け入れられませんでした。写真をやっている人たちは、私の試みを好まなかったのです。絵を描く人は絵の領域、彫刻家は彫刻の領域と、それぞれのジャンルが明確に分かれていて、「なぜお前の写真がここに入ってくるんだ」という反応が多かったことをよく覚えています。ただ、アンディ・ウォーホルやロバート・ラウシェンバーグは1963年頃から、すでにそうした実践を始めていました。彼らは身近なコマーシャル写真を素材として用いていましたが、私の場合は自分で撮影し、感光剤を塗り、すべてのプロセスを自分自身で行っていたため、アプローチはまったく異なっていました。いずれにせよ、当時はそうした試み自体が、多くの人々にとって理解しがたいものでした。「なぜピュアな写真じゃないのか」という疑問を向けられることも少なくありませんでした。
しかし私は、写真とは一瞬を切り取るだけのものではなく、複数の瞬間をつなぎ、シークエンスとして構築することもできると考えていました。こうした視点は学生時代にケネス・ジョセフソンから学んだものです。そのときから、写真には大きな可能性があることを感じていました。さらに、日本から送られてきたカメラ雑誌か何かに掲載されていた、細江英公による「薔薇刑」にも強い影響を受けました。映画のような世界観を写真でつくり出すことができると知り、自分にも何か新しいことができるのではないかと感じたのです。1960年代後半にはすでに、自分はいわゆる“写真家”ではなく、写真を題材に表現を行うアーティストなのだ、という自覚が芽生えていました。
小林:ストレートフォトグラフィ全盛の時代に見落とされていた、写真と絵画の間に新たな地平を切り拓く杉浦さんの「フォトキャンバス」や「フォトペインティング」を、きちんと先駆的な表現として紹介した今回のSFMOMAの展覧会は、非常に重要な意義を持っていたと思います。
杉浦:会場の3分の2を「フォトキャンバス」や「フォトペインティング」シリーズに使いたいという私の提案を、当初エリンさんが受け入れてくれるかはわかりませんでした。しかし、彼女は100パーセント私に協力してくれました。そのおかげで、この1〜2年間の準備期間は困難もありましたが、非常に実り多く、充実した時間となりました。
小林:お話を伺い、SFMOMAでの展覧会は、ご自身が紹介したかった作品を理想的なかたちで発表できた機会だったと感じました。本展には2021年までの近作も出品されていましたが、今後の展望や新たな制作の方向性についてお聞かせいただけますでしょうか。
杉浦:現在は「フォトペインティング」の新しいシリーズとして、レントゲン写真を用いたものと、自然をモチーフにしたものの両方に取り組んでいます。もともとレントゲン写真のシリーズは、私が病気になった1990年代に制作したものです。そのときに集めたレントゲンフィルムを今もたくさん持っているのですが、新型コロナウイルス感染症の流行で、人と直接交わらずに生活しなければならなくなったとき、改めて「病気や死は自分の身の回りだけでなく、自分の内側にもある」と気づきました。それをきっかけに、怖がらずにレントゲンをじっくり見てみると、そこにはとても面白いイメージが数多くあることに気づき、それらを使って改めて自分を表現したいと思うようになったのです。実際にそれらを使って作品をつくり始めると、新しい表現へとうまく転換していきました。現在取り組んでいるこの「フォトペインティング」の2つの方向性が、今後どのように融合していくのか、あるいはまったく別の展開を見せるのか、私自身にもまだわかりません。だからこそ、これからの1年ほどは、自分の制作がどのように発展していくのかを探る時間にしたいと思っています。
杉浦邦恵《Fever》2021年、ピグメントプリント、キャンバスにアクリル絵の具、106.6 x 142.2 cm © Kunié Sugiura, Courtesy of Taka Ishii Gallery 撮影:髙橋健治
杉浦邦恵《Oral》2022年、ピグメントプリント、キャンバスにアクリル絵の具、106.7 x 71.1 cm © Kunié Sugiura, Courtesy of Taka Ishii Gallery 撮影:髙橋健治
小林:レントゲン写真を用いた新作は、先月まで六本木のタカ・イシイギャラリーで開催されていた個展「境界と共存」(2025年7月19日〜8月23日)でも3点出品されていましたね。《Fever》(2021年)、《Oral》(2022年)、そして《Nina’s Pelvis & Leg》(2025年)です。
杉浦:《Fever》と《Oral》は、ちょうどコロナウイルスが流行していた時期に制作した作品です。《Fever》は4枚組のキャンバスで構成されており、一方のレントゲン写真は私自身の肺、もう一方は友人のものを使用しています。まず、これらのレントゲン写真をデジタル化して拡大し、キャンバスにピグメントプリントの仕様で印刷してもらい、それを絵画(色面)のパネルと組み合わせています。これは、1970年代にはじめた「フォトペインティング」の延長として、異なるイメージの平面を組み合わせる手法です。さらに、異なる色味のキャンバスを並べることで、鑑賞者に視覚的な刺激を与えることも意識しています。レントゲンは、男性・女性を問わず、人種が異なっていても解剖学的なイメージとしては共通しているため、その点でも非常に扱いやすい素材だと感じています。
杉浦邦恵《Nina’s Pelvis & Leg》2025年、ピグメントプリント、キャンバスにアクリル絵の具、91.4 x 274.3 cm © Kunié Sugiura, Courtesy of Taka Ishii Gallery 撮影:髙橋健治
小林:《Fever》、《Oral》は暖かみのあるピンク、《Nina’s Pelvis & Leg》は三原色がパネルに使われていますが、この色彩にはどのような意味が込められているのでしょうか。
杉浦:なぜ色のパネルを添えるかというと、X線写真を見せると多くの人が怖がるからです。やはり、死や病気を連想させるイメージだからでしょう。私が光(三原色)のパネルを加える理由は、色が見えるということは光が存在するということであり、光があるということは、そこに生命が存在する可能性を示しています。つまり、それはポジティブなメッセージでもあるのです。この作品は、ある種の“祈り”のようなものでもあります。怖いと感じられがちなイメージに色を並置させることで印象を和らげ、「希望もある」という感覚を観る人に伝える。突き放すのではなく、ペアとして共存させることで、少しでも救いにつながるのではないかと考えています。
小林紗由里
東京国立近代美術館研究員。論文に「女性写真家の不在をめぐって─『New Japanese Photography』展における議論の再考」(『東京国立近代美術 館研究紀要』第27号、2023年)など。
杉浦邦恵
名古屋市生まれ。現在ニューヨークを拠点に活動。1967年シカゴ美術館附属美術大学卒業。写真と絵画を融合した実験的な表現やフォトグラムのシリーズ等を通して、写真の可能性を切り拓く独自の作品を数多く発表している。