日本人写真家
楢橋朝子は1959年東京に生まれた。1986年、早稲田大学在学中に森山大道(1938年–)が主導するフォト・セッションのワークショップに参加。1989年には初の個展「春は曙」を開催。2023年には同タイトルで写真集が発行された。白黒写真で構成されたこの写真集は、多少差異を残しつつも、森山によって確立された「アレ・ブレ・ボケ」という技法に共鳴している。楢橋の最初の写真は、まるで日記のように、九州地方、のちに沖縄本島と武富島を旅行中に撮られた。日本において、1989年は森山や他の『PROVOKE(プロヴォーク)』の作家たちが経験した1960年代から逃れる転換点であった。昭和が終わり平成が始まり、消費税が導入され、バブル経済は終焉を迎え、楢橋にとっては大学を卒業し写真家としてデビューした時代だった。1990年に楢橋は03 FOTOSという自身のギャラリースペースを立ち上げ、「NU・E」シリーズを17回、1992年から1997年にかけて発表した。それらは1997年に写真集として発行された。「NU・E」は日本語で伝説上の怪物のような生き物であり、頭は猿、脚は虎、尻尾は蛇のそれである。言い換えれば、「NU・E」は常に形を変え続けるつかみどころのない何かということを意味している。この作品名において作家は、経済成長という神話が崩壊した後、発展した都市や地方の田舎が隣同士同時に存在する日本社会の性質の何らかを掴もうとした。
これらモノクローム作品を経て、2000年頃から楢橋は「half awake and half asleep in the water」と題したカラー写真のシリーズを撮り始め、2007年に同題の写真集にまとめた。現在も続くこのシリーズは陸を臨む海から撮られたカラー写真で構成されている。ひとつひとつの写真にはどこで撮られたか分かるタイトルが付けられているが、写真に見られるのは我々の普段の観点とは異なる、海に浮かぶ視点である。堅い地面に繋ぎ止められた感覚を失い、画角は時たまでたらめで、多くの場合傾いている。イメージの構成はカラーフィールド・ペインティングに似ている。下部約半分が焦点のずれた海で覆われ、上部は空や地上の建物、山々を映し出す。タイトルが示す通り、この構成は起きている状態と眠っている状態の間を示しているが、それは森山の「アレ・ブレ・ボケ」に対する楢橋の答えである。安定した何かとなりうる共通の物語を持たずに、人々が簡単に押し流され、海の下に沈んでしまうという私たちの現在の状況を描いているのである。これらの作品を通じて、私たちの想像力は地球の約70パーセントを占める海にまで広がるだろう。
1998年に楢橋は日本写真協会新人賞を受賞、その20年後第24回東川賞国内作家賞を受賞した。
「19世紀から21世紀の日本の女性アーティスト」プログラム