ブラジル人マルチメディア・アーティスト
シモーニ・ミシェリンが40年以上にわたって制作した作品群は、ビデオ、写真、没入型オーディオビジュアル・インスタレーション、サウンドアート、オンラインおよびバーチャルリアリティ・プロジェクト、パフォーマンスなど多岐にわたる。広範かつ多様な作品は、アート、サイエンス、テクノロジーの交差点を探求している。しかし、そのアプローチはテクノロジーを美化することも、社会におけるテクノロジーの役割を当然のものとして受け入れることもない。ミシェリンは、現代のテクノロジーの現実を定義する政治的次元、そして権力と統制のメカニズムを明確に指摘している。
ミシェリンはブラジル南部を拠点に、因習的なナラティブから脱却し、ブラジルの特殊な現実を作品の基盤としている。ブラジル南部は、グローバルサウスの一部であり、消費財へのアクセスは平等ではなく、非民主主義的である。ミシェリンは、こうした地政学的な観点から、自身のアートを公共の領域に位置づけ、社会組織に関与し、身体と言語、ローカルとグローバル、個人と集団の間に繊細な対話を生み出している。したがって、その作品の力は、単なる思索の対象ではなく批判的な行動の場としての「テクノロジーに基づくアート」の使用にある。疑問を投げかけ、不確実性を浮き彫りにし、鑑賞者の周囲の世界に対する関わり方と見方に影響を与え、それらを形作る。
ブラジルにおけるビデオアートの第二世代の一人として、1970年代後半にキャリアをスタートさせ、ビデオ、写真、公共スペースへの介入を組み合わせた作品で、その後の10年間で名声を確立した。ブラジルの独裁政権末期の社会政治情勢に関連する問題やテーマを取り上げた、レストランを舞台にした没入型のインスタレーション作品《Prato Feito》(1984年)で注目を集めた。その後、1989年から2011年にかけて、多様なメディアを用い、アイロニーを込めて美術史における女性の役割を探究する長期のワークインプログレスのプロジェクト《A Noiva Descendo a Escada》を行なった。
ミシェリンは、自身の活動に常に最新のテクノロジーを取り入れ、身体、空間、メディアの関係性についての調査を深めていった。その顕著な例として、《ADA – 愛の無政府状態(ADA – Anarquitetura do Afeto)》(2004年)がある。これは、展示スペースの内部を撮影し、その映像をストリートで生中継することで、現代の監視システムに異議を唱えた作品であり、カメラの「内部回路」を「外部回路」へと変えた。2000年代には、ビデオブラジル・フェスティバル(Videobrasil Festival)で3回にわたり大きく取り上げられ、消費主義やインターネットの商業化といったテーマを批判的に検証する作品を発表した。
現代の緊急の社会問題を取り上げた作品には、リオデジャネイロにおける国家による暴力と麻薬密売の強力な影響を告発するために最先端のテクノロジーを用いた没入型インスタレーション作品《クオリア(Qualia)》(2010年)がある。近年は先住民の問題に焦点を当て、《君はいた/彼らは君を捕らえた(Tiam(A)tu)》(2023年)や《赤いカイサラ(Caiçara Vermelha)》(2022年)など、ビデオやインスタレーションで先住民に与えられた暴力について取り上げている。
シモーニ・ミシェリンは、テンプル大学とプリマス大学で上級研究を修了し、リオデジャネイロ連邦大学でビジュアルアートの博士号を取得している。作品は、リオ美術館、第10回ハバナ・ビエンナーレ、第7回メルコスール・ビエンナーレ、テート・モダン、カールスルーエ・アート・アンド・メディア・センター(ZKM)などで展示されいる。
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