アメリカ人メディア・アーティスト、映画作家
リン・ハーシュマン・リーソンを1枚の肖像画に描くことはできない。長年のキャリアの中で多数の女性キャラクターやサイボーグ、ボット、さらには自らが演じる人格を創造し、それによってジェンダー、アイデンティティ、そして個性の持つ政治性に取り組んできた。1968年には、自分を含む女性アーティストたちの作品の批評を架空の批評家名義で美術誌に発表した。また1973年から1978年にかけては、自分や別の人たちがロベルタ・ブライトモアという架空の人物に変身するプライベート・パフォーマンスを行った。ブライトモアは、当時の独身女性に典型的とされた行動を実生活で実行する存在だった。ハーシュマン・リーソンの作品における自己の多元性は、女性のアイデンティティに関する社会構造や表象を問い直すものであり、多くの場合、それは女性アーティストが経験してきた排除的扱いやジェンダー・バイアスに対する応答でもあった。フェミニズム運動が最盛期を迎える中、ハーシュマン・リーソンは、大学院進学のためベイエリアに移住した。そして、美術館やギャラリーからの支援や評価が得られない状況に異議を唱え、当時主流の美術館では受け入れられなかったニューメディアアートなどの作品を展示するための代替スペースを作り上げた。例えば、エレノア・コッポラとともに1973年にサイトスペシフィックなインスタレーション《ザ・ダンテ・ホテ(The Dante Hotel)》(1973年)などである。また、期間限定の美術館、《ザ・フローティング・ミュージアム(The Floating Museum)》(1974–1978年)を設立し、パブリックスペースのためのプロジェクトを委託することで、伝統的な美術館の枠組みの外でアーティストのビジョンや作品を支援した。
1980年代以降、ビデオ、映画、インタラクティブ・アート、ウェブベースのアート、人工知能(AI)、バイオテクノロジーなど、多様なメディアや革新的なプラットフォームでの実験を続けている。インタラクティブなビデオディスク・インスタレーション《ディープ・コンタクト(Deep Contact)》(1984–1989年)で、タッチスクリーン技術を初めて導入した。《コンシービング・エイダ(Conceiving Ada)》(1998年)の制作のために、映画制作でまだ一般的に使われていなかった技術であるバーチャルセットを開発した。1990年代初頭にはインターネットをアートのメディウムとして使うようになり、人工知能によるバーチャル・チャットボット《エージェント・ルビー(Agent Ruby)》(1998–2002年)などのウェブベースのプロジェクトを手がけた。人工知能マークアップ言語を用いて構築されたエージェント・ルビーは、女性の顔と人格を持つバーチャル・チャットボットで、ルビーとオンラインユーザーとの会話によって、ルビーの記憶、知識、感情の変化が形作られていくという作品である。2000年代に入ると、ハーシュマン・リーソンは遺伝子工学の可能性を批判的に探究し始めた。その研究は、複合的なプロジェクトで複数の展示室からなるインスタレーション、《インフィニティ・エンジン(Infinity Engine)》(2014年)として結実した。このプロジェクトの最終展示室である《ルーム #8(Room #8)》(2006–2018年)には、作家の映像・映画作品のアーカイブをバイナリーデータ化した合成DNAを収めたガラス瓶(アート作品を分子の形に分解して収めた)と、「LYNN HERSHMAN(リン・ハーシュマン)」という名前を分子構造に持つ人工抗体を入れたガラス瓶を展示した。抗体はアーティストのようなだと彼女は語っている。アーティストは文化における毒素を追跡し、身体の中にまで入り込んで治癒を試みる存在だと考えていたのだ。
ハーシュマン・リーソンは、アートは政治的でなければならないと考えていた。「そうでなければ、なぜアートなのか? アートにはリスクを取る機会があり、それによって強い共鳴を生むことができる」と彼女は言う。常に政治を取り入れた作品を通して、テクノロジーの進歩が社会に与える影響を予見的に明らかにしてきた。監視、検閲、バイオサイエンスといったテクノロジーの影響や倫理的な境界に対する探究も行った。その先駆的な作品は、世界中の公共コレクションに収蔵されている。2004年にはスタンフォード大学の特別コレクション図書館にアーカイブが収蔵された。1995年にはカールスルーエ・アート・アンド・メディア・センターの国際ジーメンス・メディアアーツ賞を、1999年にはオーストリア・リンツのアルス・エレクトロニカで名誉あるゴールデン・ニカ賞を、2023年にはニューヨークのプラット・インスティテュート・オブ・アートから名誉博士号を授与された。第59回べネツィア・ビエンナーレ国際美術展では、審査員から特別賞を受けている。
「二つの脳で生きる:1960年代〜1990年代、ニューメディア・アートで活躍した女性アーティストたち」プログラム