日本人映像作家
木本圭子は、多摩美術大学でテキスタイルを学んだ後にグラフィックデザイナーとして活動する中、1986年にアップルMacintosh128と出会う。描くことが好きで、身体性を重視しつつも自らの表現を消すことを志向していた木本は、コンピュータの演算による図像生成に可能性を見出し、独学で数理的手法による制作を開始した。1990年にはポストスクリプト言語やC言語を使用、1997年頃から動的な表現を探求している。2000年初頭の《Imaginary・Numbers》(2003年に同名の本を出版)は、木本がメディア・アーティストとして注目されたシリーズである。自然に見られるような曲線や螺旋は、コンピュータで非線形力学系の一つの数式の演算を繰り返すことで生成したものである。抽象的でありながら有機的に感じられる描画や造形は白と黒のみで構成、映像に音はなく、ミニマルな佇まいを持つ。同時に、なまめかしく官能的なものがある。
タイトルは数学用語で「虚数」を意味するが、木本は単語を「・」でつなげて「想・数」というニュアンスを加えたという。木本は作品について、ものが動くことではなく、動的な「環境」としての空間の様子が変わることが重要だという。制作では、構造やルールを起点にコンピュータの演算により生成する予想外の造形に遭遇しながら、最終的には作家の審美眼から厳選し、ピクセル単位で調整し作品とする。木本は2006年に平成18年度文化庁メディア芸術祭アート部門で大賞を受賞、活動は非線形科学の分野でも注目され、合原複雑数理モデルプロジェクト (2005–2008年)、合原最先端数理モデルプロジェクト(2010–2013年) などに参加している。2008–2009年の長期インスタレーション「多義の森」(NTT InterCommunication Center [ICC])では《Imaginary・Numbers》に加え、一つの数式からなる振動モデルを多数結合させ、リアルタイムで稼働させる実験を行った。生命体のように変化し続ける形態やリズムの中に、自然に見られるような多様性を見いだすとともに、蓄積データをもとに、2010年には複層的で有機的な造形へと展開する。また布やクリスタルガラスなど、立体物にデータ出力した作品を発表(個展「Velvet Order」[2010年]および「dimension rendez-vous」[2011年])。続いて、生成した映像を異なるきめや質感の和紙にプリントアウトし、日本画の岩絵具で繊細になぞった作品を制作、茨城県北芸術祭2016では、これらとともに別会場(科学館のプラネタリウム)で生成した映像を上映し、デジタルとアナログの両面を披露した。2010年代末には東京から生まれ育った広島の海の近くに拠点を移し、自然に触れながら墨絵を制作している。元来身体性や触覚を重視しつつも、デジタルに集中した四半世紀を経て、デジタルとアナログをつなぐ作品へ、そしてアナログ作品へ。造形を数学からコンピュータを介して探索した経験が、アナログにおいても木本ならではの作風を結実させている。木本は、宇宙や自然を成り立たせるルールを「野性の秩序」と呼び、数学を通して長年追求したが、アナログに移行しても見すえているものは変わらない。木本においては、デジタル/アナログに関わらず、見えるものより不可視の環境こそが重要であり、それらとの関係により世界が創出されるという一貫した視点に根ざしている。その意味で木本は、メディア・アーティストというよりも「アーティスト」と呼ぶのが相応しい。
「二つの脳で生きる:1960年代〜1990年代、ニューメディア・アートで活躍した女性アーティストたち」プログラム